|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 名 : [な] 【名詞】 1. name 2. reputation ・ 名人 : [めいじん] 【名詞】 1. master 2. expert ・ 人 : [ひと] 【名詞】 1. man 2. person 3. human being 4. mankind 5. people 6. character 7. personality 8. true man 9. man of talent 10. adult 1 1. other people 12. messenger 13. visitor 1 ・ 小説 : [しょうせつ] 【名詞】 1. novel 2. story ・ 説 : [せつ] 1. (n,n-suf) theory
『名人』(めいじん)は、川端康成の長編小説。1938年(昭和13年)の6月から12月にかけて打ち継がれた21世本因坊秀哉名人の引退碁の観戦記を元に小説の形にまとめたもので、川端文学の名作の一つとされている〔山本健吉「解説」(文庫版『名人』)(新潮文庫、1962年。改版2004年)〕。秀哉名人没後の翌々年の1942年(昭和17年)から書き出され、途中の中断を経て十数年がかりで完成と成った〔〔『新潮日本文学アルバム16 川端康成』(新潮社、1984年)〕。 家元制最後の本因坊秀哉の人生最後の勝負碁の姿を見た川端康成自身が、観戦記者からの視点で「不敗の名人」の敗れる姿を「敬尊」の念を持って描いた記録小説で、名人の生死を賭けた孤高の敗着に「古い日本への挽歌」、芸術家の理想像を重ねた作品である〔川端康成「あとがき」(『呉清源棋談・名人』)(文藝春秋新社、1954年)〕〔 羽鳥徹哉「『名人』論」(『川端康成作品論集成 第5巻』)(おうふう、2010年)〕〔 今村潤子 「第二章『名人』論」『川端康成研究』(審美社、1988年)〕〔。女性を描くことがほとんどの川端作品の中では異色の作品である〔。 == 発表経過 == 川端康成はこの作品を、秀哉名人の死の翌々年1942年(昭和17年)から書き始めていたが一旦中絶し、稿を改めて1951年(昭和26年)から1954年(昭和29年)にかけて各雑誌に分載した。その完成版と、それ以前の戦中の未想熟版の経過は以下のようになる。 ;未想熟版 :先ず1942年(昭和17年)、雑誌『八雲』8月号に「名人」(序の章で中断)が掲載された。翌年1943年(昭和18年)、雑誌『日本評論』8月号と12月号と、翌年1944年(昭和19年)3月号に「夕日」(未完)が掲載された。そして戦後の1947年(昭和22年)、雑誌『世界文化』4月号に「花」(未完。「名人」と同じ)が掲載されて、中断となった。 ;完成版 :1951年(昭和26年)、雑誌『新潮』8月号に「名人」が掲載された。翌年1952年(昭和27年)、雑誌『世界』1月号に「名人生涯」、同誌5月号に「名人供養」が掲載された。そして翌々年1954年(昭和29年)、同誌5月号に「名人余香」が掲載された。 ;定本『名人』 :『名人』と称されているものには二種類あり、上記の「名人」「名人生涯」「名人供養」の3編をまとめた全41章の『名人』は、1952年(昭和27年)に新潮社より刊行の『川端康成全集第11巻 虹いくたび 日も月も 名人』に収録された。もう一つは、先の3編に「名人余香」を加え、4編をまとめた全47章(先の41章目は完全に取り払っている)の『名人』であるが、これは1954年(昭和29年)7月10日に文藝春秋新社より刊行の『呉清源棋談・名人』に収録された。 :この41章版と47章版のどちらを定本にするかは川端研究者により意見が分かれ〔 松坂俊夫「『名人』小考」(『現代国語シリーズ「川端康成』)(尚学図書、1982年)〕〔、未だに決着がついていない〔。なお、41章版を定本とする派は、47章版で出した本が『呉清源棋談・名人』しかないところから、川端自身が41章版を重んじ評価していたと主張し〔〔、41章版の終章の方が緊迫感のある「動」で終わり、筆が冴えているとしている〔。 :41章版の『名人』の文庫版は新潮文庫より刊行されている。また、観戦記他、囲碁に関連する諸作品は新版の『川端康成全集第25巻』に収録されている。翻訳版は、閔丙山訳(韓題:Myeong In)、エドワード・サイデンステッカー訳(英題:The Master of Go)をはじめ、世界各国で行われている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「名人 (小説)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|